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2007年8月29日 (水)

「アサッテの人」と阿久悠

いたる番組で阿久悠氏の特集を行っていたのは記憶に新しいですが、単に氏の功績をダイジェストに垂れ流す番組が多い中、言葉に対するこだわりを語るインタビューは私に強い印象を与えました。
氏曰く「歌なんてなくなったっていいのだ、でも言葉は人と人とを繋げる手段。言葉は大切にしてもらいたい。その後に歌がある」
そのようなことをさりげない表情で淡々と語っておりました。しかし、歌詞を書くことを生業とする氏にとって前言は非常に重みがあり淡々とする中にも強い決心、揺るぎない心を感じ取ることができました。

例えば、犬を打ったら嫌がるそぶりをみせますが、人間ならば、まず「痛い」って感じます。でも犬は「痛い」と言う言葉は知らないから具体的にどういう感覚なのかを理解することはできず本能的に危険な状況にある(もちろん危険という言葉も分かりませんが)ことだけは分かるので身を伏せたりするのでしょう。
でも人間は「痛い」を初め「痒い」「熱い」「暑い」などなど沢山の感覚を言葉を持って具体的に理解し、さらに「心地よい・悪い」と判断するのです。
さらには何で痛いのかということも言葉があるからこそ理路整然と理解することができます。たしかに本能的な直感を具現化するのが言葉というものであり、言葉が分からないと自分でも理解できずにただ感じるだけなんです。
なので語彙が多ければ多いほど多感になると言えるでしょう。
氏はそういった心情の機微を言葉によって具体的に表現することの肝要さを説いていたのではないのでしょうか。

先日、芥川賞受賞した「アサッテの人」
これも言葉の持つ意味を考えさせられる作品であり、興味深いものでありました。
ただ、言葉の持つ意味を深く考えれば考えることほど人間らしくもありながら、この小説に登場する叔父が失踪したのをはじめ、先人の天才たちを例に見ても、頭がおかしくなっちゃうとか狂わなくても自殺しちゃったりするわけで、言葉を追求すると言うことは、そんな危険性を十分に孕んでいることには気をつけないといけません。
まぁ私など凡人はそんなことは杞憂であり、
流行の言葉を借りれば
「そんなの関係ない!」ですな。

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